植物園内

 深夜。
 電車の運行が止まるころ。
 要塞の柱のような骨組みが作るビニールハウスの中。

  淡い紫、夜明け前を思わせる花が咲いていた。四センチほどの大きさ、外側の花弁が大きく開いており中央は螺髪のように小花が集まっている。スカビオサは病んでいた。
「儚い私の一生と悲しい。私が持っているものは、私のものじゃない。いずれそうなる。私の生をはく奪する時間。すべてを失った私、私さえもいない。つまり最初から何も持ってなんかいなかった。最初からすべてを失っていた私――。」
 嘆きに対して最初に応答したのはハスだった。水の上を永遠に浮かんでいるかに見えるそれは言う。
「あなたには有限だが、時間が与えられている。時間が存在しないとあなたは呼吸さえままならない。酸素を取り込んだあなたは酸素を得て、奪って生きている。」
 スカビオサはすすり泣きを始めた。葉の緑が深くなり、茎を通る筋がわずかに光を発する。
「すべてが熱的死へと近づいているの。つまり全部失われる。僅かな所有欲。叶わぬことが約束された願望。なんと呼べば正しい。絶望以外にふさわしい名前の存在は。」
「絶望?何も持たずに生まれたことに関して。どこにそれが。希望は見えないかもしれないが、そこにはそれさえもないだろう。」
「生まれ持っての悲劇じゃないの!でもあなたは永遠。その永遠は罪となり、ここにおける罰。かくも容易にあなたは永遠をまさに、『所有』してしまう。あなたは知覚する。そして考えられることしか考えることができない故!」
 ハスは黙り込んだ。スカビオサと会話を続けることに飽きてしまい、ただ花びらを大きく広げ内部を惜しみなく澄んだ空気にさらした。
 アネモネがハスの言葉を継ぐ。
「そうしてすべてを捨てている。あなたのものを奪うのは時間じゃない。おまえが自らただ悲観的なふりをして捨てている。避けがたい極端な悲劇。これ以上のものを恐れ、ひざをついて。新たな一日が、明日になるはずじゃなかったのか。」
 スカビオサは答えない。ただ花弁を大きく震わせた。アネモネはハイになって言葉を続ける。
「生むのか、その悲しみ所有欲を持つ。それは満たされてしかるべき、方法的懐疑。私は恐怖する、自らの身を焼く存在あなた。」
 スカビオサは冷徹に言葉を紡ぎ始める。
「失われるその言葉の意味、この喪失。決して届かない、あなたの言葉は何をしても、どうあっても。」
 アネモネは気が狂いそうになるのを抑えるために黙り込んだ。その真っ赤な花弁は夜から奪い取った黒みを帯び、周りから水分をたっぷりと強奪し、その体は張りをもつ。
「気が変になるのは私まさに。同義になる私と存在しない、この場所は最初から無いも同然。わかっているでしょう、気付いていてそうじゃないふりをする。何もない、すべてがあるかのよう。確信。何かの中にいた私は何かを持っていた。精神を苛む、あの懐かしさと呼ばれる得体のしれない。」
「あなたが早く何も持っていないことを肯定的にとらえることができればいいのだけど。」
 さっきまで黙っていたゲッカビジンが口を開いた。大きく外に開いた細く、真っ白な花びらがかすかに動くほどのささやき。花の近くで茎は細く、大きくゆがむ。
「あなたはすべて最初から手に入れることができながらそうしなかったからそんなことが言えるのよ。」
「戯言を。」
 
 甲高く踏み切りが叫び始めた。