インド滞在 Ⅰ

 2019年9月3日から17日までのインド旅行に関して書き留める。忘れそうなことを中心に記述するのでともすると読みづらいかもしれないが、まあ私が分かればよい。

 

 Ⅰ.デリーに関して

 

 出発日。初めて飛行機に乗ったので異様に緊張した。周りに誰もいなかったので飛ぶ前の焦らしの時間は始終呻いていた。いざ飛ぶとどうでもよくなったので寝た。冷房のせいかのどが乾燥した。その後数学した。あと最初の軽食を配られるときにインド人の添乗員になぜか気に入られた(”I like you.” 言われた)らしくジュースとナッツを二人分もらった。

 デリー空港に現地時間22時前に着。スーツケース回収してしかめっ面のおじさんにビザの隣のページにスタンプ押してもらって入国。別のおじさんに「一万円からだ」と言われたが困った顔して四千円置いてたらインド通貨(ルピー)と両替できた。空港の外のゲートへ。生暖かく湿った、少し鼻につく空気。

 知人の弟の方と待ち合わせていた。弟は知人によく似ていたので、すぐ彼だと分かったが、一応事前に聞いておいた誕生日をもう一度彼に尋ねた。彼は私が知っていたそれをもう一度答え、一言 "Cool." と言った(単に私があまりにも用心深かっただけです)。

 地下鉄を乗り継ぎ彼の下宿先へ行く。デリーの地下鉄で使えるプリペイドカードをもらった。飛行機で疲れているので彼とはあまり口をきかなかった。下宿は彼の大学の近くにあり、大学から歩いて向かう。路上には犬がたくさんいて、牛も普通に歩いてた。さしてお腹がすいていたわけではないのに、彼が出前で頼んだ食事(ごはんの上に細切れになった鶏肉を乗せスパイスで味付けしたもの)はかなり量があった。食事を腹に詰め込み、彼に風呂だと言われ案内された場所で、さて風呂とはいかなるもので、これはどういう機能を備えているのだろうか、と無い知恵を振り絞って入浴した。そこにあったのは一つの蛇口と大きなバケツ、小さなバケツ、石鹸であった。実際は私が行ったのは入浴ではなく水浴びというほうが正しいのかもしれない。

 もともと二人部屋らしくベッドが二つあったので一つをお借りして大きな扇風機の下で寝た、現地時間午前2時頃(その日彼の同居人がどこにいたのか私は知らない)。

 

 二日目。彼の大学の学食を朝食にして駅まで送ってもらう。この日のミッションは予約したホテルに行くこと。ホテルの最寄り駅までは何の困難もなかった。彼によると、そのあと個人タクシー(以下リキシャ―と表記)にホテルの名前を告げれば到着するはずだった。到着しなかった。場所知ってる顔で人を乗せて、適当にそれっぽいところで降ろして金を請求するんじゃない。その後運転手は、案内役と思しきおじさんに私を渡した。場所を知っているという男に黙ってついていく。歩いているとまた別の知らない男が英会話しようという意図で話しかけるので不愛想に適当に答える。ここの角曲がったら右手にあるよと言って男は去っていった。ホテルはなかった。二日目にして迷子の出来上がりである。英会話男はなんか旅行案内所に行けという全く意味不明のアドバイスをして消えた。インターネットがない私は無力である。ひとまずリキシャ―を降りたところまで戻り、適当にホテルに入り場所を聞く戦略を取る。三人ぐらい聞いたら着いた。駅から全然歩いて行ける距離だったのでなおさら運転手への恨みが募る。その後手持ちの現金が足りなかったため、だめだめなレートで宿泊費を払いチェックイン。たしか14時ぐらい。シャワーを浴びてぐったりする。シャワーを発明した人に感謝するなどした。

 晩御飯を食べたり、近くを散策したりするためにしぶしぶ外に出る。ひとまず目的地を別の近くの駅(New Delhi駅)に設定し、そこまで歩くことにした。暑い。人多い。リキシャ―とバイクのクラクションうるさい。最初西と東を間違えたのでたくさん歩いた。コンパスを使うという知見を得た。服屋、アクセサリー屋、薬局(?)、靴屋、屋台(?)などが通りに並んでいた。何も買わず一本道を歩き続け目的地に到着した。駅、何もない。駅の中とか近くに飲食店がたくさんあるだろうという私の予想は外れた。

 帰り道で水を買い、その途中のイタリアンっぽい店でピザを食べホテルに帰り寝た。ホテルの従業員の話す声がよく聞こえた。

 

 翌日は早起きし電車を乗り継ぎ指定された駅へ向かう。この日はタージマハルに行った。知人に電車の席を事前に予約していただいていたのでその席を探す。どのプラットフォームか分からず、直前までばたばたし、なんとか電車を見つけて乗り込む。寝台車だった。同乗者のおじさんに目的地を伝え、雑談しながら三時間過ごすとその人に「ここで降りて、タクシー捕まえてタージマハル行ってらっしゃい」と送りだされた。おじさんはアメリカで働いてて実家に帰る途中だと言った(と思う)。両替しなきゃって私が言うと、携帯で近くの両替所を探してくれた。人とたくさん話をするほどの元気はなかったので半分くらいは車窓を眺めて過ごした。おじさんは英語の本を読んでいた。

 駅の中には猿がたくさんいた。駅から出るとたくさんのおじさんが話しかけてくる。全部詐欺だと信じて疑わなかったのでタクシーを探しつつそれらを全て無視する。しつこい時に "Shut up." と言うとクレイジー呼ばわりされた。うける。騙されはしないかと訝りながらタクシー乗り場で目的地(両替所)を伝え、車に乗り込む。タクシーのおじさんはよくしゃべった。なんでもこの後タージマハルまで行き駅まで連れて帰るから、500ルピーでどうだなどと言われる。結局このおじさんと5時間ほど一緒にいることになる。

 両替を終えた後おじさんの勧めでタージマハルの裏側が見える庭園に行く。しっかり入場料を払い30分ほど無心で写真を撮る。野生のリスを見かける。警備のおじさんに話しかけられる。暇らしい。庭園を出た後タクシーのおじさんに服屋に連れていかれる。上下合わせてでだいたい3000ルピーぐらい(たしか)(日本円で5000円弱くらい)と言われ、手持ちが足りないことを悟る。それよりずっと安いスカーフを3割引きしてもらい、店を出る。それでも手持ちが足りなかったのでもっかい両替した。いざタージマハル。服屋で時間を使いすぎたらしく、タクシーのおじさんがガイドをつけることを提案する。早く見れるということと、おじさんの押しの強さで折れる。付近でガイドのおじさんと合流してタージマハルの入り口へ。おじさんは片言の日本語を話した。すでに人間としゃべり続けて疲れたのでガイドのおじさんともあまり話はしなかった。しかしおじさんは自分がガイドという仕事に従事していることを主張するかのごとく、タージマハルに関するあれこれを片言日本語を交えて説明する。私はあまのじゃくなので全部英語で返答していた。今思い返すと性格悪いと思う。

「これはイギリスの女王が座った椅子です。」

「私、女王って概念が嫌いなんだよね。」

「インド人は英国が嫌いです、日本とはよい関係にあると思っています。」

 (さようでございますか…)

のやりとりはなぜか覚えている。タージマハルはきれいだった。見れてよかった。

 ガイドのおじさんにお金を払い別れ、タクシーのおじさんに500ルピー払って駅に着く。さて、帰りの電車は26時間遅れていた。個人的に海外っぽいと思った瞬間である。さすがに待てないのでひとまず駅員を捕まえて相談する。いろいろ事情を話し、Wi-Fiを手に入れる。インターネットは人を強くする。インド人の知人と通話をしどうすればいいか尋ねる。知人に言われるがまま駅のえらい人と電話を代わる。知人とえらい人は少しお話をした後、帰りの電車を用意してくれた。駅のえらい人も英語は苦手なようだった。帰りの電車に乗るための知人からの指示は、乗る電車に関する情報と、

「電車に乗ったら手近の人を捕まえて私と電話をさせろ」

 だった。駅のえらい人は乗る場所と時間を教えてくれただけだった。そんなんでいいの…。電車に乗っていざ誰かに話しかけると、思ったよりも英語が使えなくて焦る。まあなんとかなったので、電話をした若い男性(多分私と同年代)が席を一つ譲ってくれた。彼と彼の友人は私が珍しいらしくなんかいろいろ話をしようとがんばってた。食べ物もちょっともらった。水も勧められて飲んでしまったが、あとから安全っぽいことが分かる。google翻訳で会話をしたのであっという間に充電がなくなった。3時間でホテルに帰れた。可及的速やかに寝た。

 

 ニューデリーにいながら観光しておらず残り二日しかないことに気付く。洗濯物をホテルに預ける。知人にレートがよい両替所を紹介してもらいそこにいく。電車に乗り、駅を出てからもやはり道に迷い、両替しホテルに帰ってくると午前が終わった。朝起きたのも遅かったし。

 ホテルに戻り行きたいところを決めて再び外へと繰り出す。地下鉄で最寄り駅まで行くことは困難ではない。最寄り駅から目的地までで三回道に迷う。地図でだいたいの方向しか確認してない私が悪いのだが。観光地なんだから人がたくさん通る道を探すべきであった、と思うなど。ひたすら歩いたので汗だくで既に夕方だったがロータス寺院到着。蓮の花の形の建築物。中には入れるようだったが人が多くどのくらい待つか分からなかったのでやめた。再びホテルに帰り荷物を準備する。ホテルに帰ると窓が開けっぱなしでちょっと怖かった。これから知人の弟に実家に弟と行くことになっていた。疲れていたので約束の時間を30分遅らせてもらい、指定された駅に向かう。知人はさらに約30分遅れた。合流し電車で終点まで行く。終点からリキシャーに乗り約20分。所せましと車が並びどの車両も急いでいるので事故になるのではないかと震えていた。リキシャ―を降りて、少し歩き、路上で売ってたパ二プリなるものをいただく。ググればどんなのか分かる。おいしかた。

 いよいよ友人の実家へ。漠然とインドの古典的な建築に住んでるのかと思っていたが、普通にマンションだった。13階かそのへんに行く。入口には警備の人がいた。靴は入口の外に置く。おそらく民族衣装を着た母だけが住んでいるようだった。弟の部屋に案内される。冷房があったほうがいいか聞かれ、あったほうが喜ぶと答えると母親の部屋に連れていかれる。ここで申し訳なさが募る。その部屋にだけ冷房があるらしい。質素な部屋に見えた。覚えているのはベッドと化粧台クローゼットの扉、天井のファン。食事前に足を洗うよう言われる。言われるがままにとりあえず手足を洗う。というか全身シャワーを浴びてもよかったらしい。彼は普通に風呂に入ったらしく、彼の風呂と、食事の用意ができるのを待つ。そのマンションは風呂とベランダが二つあった。

 床に布を敷き、その上に食事を置きいただく。異文化交流を目的として日本食を食べる外国人の様子を見たことがあるが、まさにその時彼らの気持ちがよく分かった気がした。私は不勉強だったのでインドでのマナーは一切知らなかった。マナーを知らないので彼らがどういう行為を許し、何をすると怒るのかまるで見当がつかない。結果彼らの食事の様子を観察し、それを模倣することになる。すんごい手をじろじろ見た気がする。ますカレーとナンとヨーグルトが入った器を用意する。お祈りをし、各々の皿に取り分ける。見様見真似で右手だけを使いナンをちぎりカレーの具をつかみ口に運ぶ。ナンにヨーグルトをつけて食べる。飲み物を持つのはどっちの手か考えながら水をのどへ流す。ナンを食べた後はお米料理(多分スパイスを使って炊き込んでる(?))とカレー、ないしヨーグルトをスプーンで食べる。ご飯に入ってるガラムマサラは除いて食べるよう言われた。だんだんスパイスの味以外分からなくなった気がしていると食事が終わった。食後に祈ることはないらしい。お皿を運ぶのを手伝い、デザートをいただく。ぎょうざの形をした、揚げ物っぽいお菓子だった。食べてる間少し母親とお話する。お互い英語がめためた下手なのであんまり意思疎通ができない。構図が文化交流に来た外国人と興味津々なホストにしか思えなくてちょっと居づらさを感じた。そのあと寝るベッドを決めて7時に起こしてほしいと告げて寝た。彼らはそれぞれの仕事をしているようだったが、私はすぐに眠りについた。どこで寝ても大きなファンが天井で回っている。

 

 母親に起こされたのが8時。弟はなかなか起きてこなかった。シャワーをお借りし、起きた弟と一緒に朝食(おそらく食パンと卵焼き)を食べ、兄である知人へ渡すものをいくつか預かり、結局実家を出たのは朝10時。デリーが観光できるのは今日が最後なので早く出かけたかったところ。それといろいろいただいてしまったので荷物がとても多くなってしまった。移動がしんどい。泊めていただいたので文句を言える立場ではないが。朝早く出れれば一度ホテルに帰ったのだが。

 実家から最寄り駅までは彼のスクーターで向かう。スクーターに乗るのは何気に初めてだったのでとっても怖かった。遠心力とか。最初は彼の肩を固く握りしめていたが途中でなれた。私と弟は二人ともヘルメットをしていたが、インドではヘルメットを被ることはあまり一般的ではないらしい。父親がヘルメットを被り、母と小さな子供は被らず父親の後ろに乗っている光景も見た。流れていく景色の中で感傷に浸っていると駅に着いた。

 電車を乗り継ぎアクシャルダーム寺院へ。写真は撮れず荷物をほぼ預けて中へ。なんかいろいろ見た。例えばほげほげ教(忘れた)の歴史みたいな展示、お金かかってた。ポストカード買った。

 そのあとはまた電車に乗り近代美術館へ移動。すでに昼下がり。駅から美術館まで歩き、道中ズボンを大雨に浸す。だってリキシャ―使いたくなかったもの。美術館内は写真撮り放題でよかった。美術館を出るころには雨もあがっていて道路にできてた川は小さな水たまりになっていた。

 再びリキシャ―を使わないため歩き続けインド門を眺め(ボディチェックあった)、博物館で適当に展示品を写真に収め、また歩き続けて駅まで戻る。ズボンはすっかり乾いていた。ホテルに帰ると夕方だった。洗濯物を受け取る。服の目立たないところに番号が書いてあった。朝から何も食べておらずお土産も探してないので荷物を整理してショッピング街へ。適当に食べ物を物色して腹を満たし街中をほっつき歩いてスタバでマグカップを買う。終電が近かったのであんまりお店開いてなかった。ホテル帰って荷物整理して就寝。

 

 早起きして空港行く。空港内に入るとスーツケース開けろと言われ、中のものを全部ひっくり返される。完璧につめてたのにつめなおさないといけなかった、怒り。搭乗手続きをしてWi-Fiをつないでもらい空港についたことを何人かに連絡するとすぐにムンバイへ飛び立った。