インド滞在 Ⅱ

 Ⅱ.ムンバイに関して

 

 このあたりから記憶があいまいにつき前後関係に自信がない。

 

 デリーからムンバイまでは飛行機で約三時間。たしか非常口の関係で私の席の机が不安定であり、早起きのため眠かったので、ほぼ3時間寝ていた。ムンバイ空港で入国関係の手続きをしたかどうか定かではない。空港内のプリペイドタクシーで事前に支払いを済ませ、知人がいる大学に一時間弱かけて向かう。大学門にて知人と約半年ぶりの再開を済ませ、キャンパスの奥へと進む。知人によると私の通う大学で一番大きいキャンパスよりも広いらしい。「ほとんど森だけどね。」高い木が道路を挟んで生い茂り、牛(と知人によるとブル)がキャンパス内を我が物顔で闊歩する。ムンバイはデリーより暑くなく、湿っぽくないと思ったが、よく雨が降っていた。夏の後が雨季らしい。Tシャツにジーパン(半パン)とサンダルがだいたいの学生の服装。

 ひとまず事前に予約したいただいていた大学内のゲストルームへ。ゲストルームすごい。ちょーきれい。新聞も毎日三種類届くっぽい(記念に持って帰った)。Twitterに載せた一番高いお部屋がこちら、4000円ぐらい。惜しむべくはお部屋に計算用紙とドライヤーがなかったことぐらい。翌日チェックアウトする時、ドライヤーがなかったことを記入するととても興味深そうにアンケート用紙を眺められた。荷物を部屋に置いて軽食を食べに行く。料理の名前は覚えてない。丸く焼いた生地を円筒をつぶした形に折りたたんだやつとパ二プリの親戚みたいなやつ。辛くない。その後一度知人と別れ、ホテルの部屋へ戻る。再び会った知人に知人の実家で預かったものを渡し、洗濯物を洗濯してくれるおじさんに預け、学生寮の知人の部屋に案内される。洗濯おじさんがいる建物の近くでは祭りの前祝(?)をする学生が大きな音を出していた。太鼓をたたいておうおう言ってた。かなり大きな祭りらしい。人であふれかえるので外にでないほうがいいと言われた。確か知人の部屋で少し時間をつぶし、寮内の食堂で夕食。バイキング形式でナン、カレー約三種類、ごはん、野菜などが並ぶ。この食堂はだいたいこれらが出され、あとはデザートで少しメニューに変化を出しているようだった。ご飯を食べたらホテルへ帰って寝た。

 

 朝起きる時間を誤った(ちょっと寝坊した)ためホテルの朝食の余り物をいただく。ちゃんとしたやつ食べたかった…絶対美味しいって感じが片づけてる皿から漂っていた。そのあとはたしか適当に時間をつぶして別の知人とお昼ご飯を食べに出かける。知人、申し訳なくなるぐらいいい人。私全くお金払えなかった…。リキシャーで大学内の外に出ていい感じのお店に連れていかれる。いい感じのお店のメニューに写真はついてない。分量が全然わからない。そもそも何の料理かさえ分からない。知人にある程度お任せしながら注文した、申し訳ない。いろいろいただく。お野菜のスープ、チーズと玉ねぎをクラッカーに乗せたものの味がする料理、辛めのごはん、牛乳アイスなど。近況報告など。リキシャ―に乗って私のホテルに帰り、握手して別れる。リキシャーのお金も払わせてしまった。その後講義を終えた知人とともにホテルをチェックアウトする。知人の住んでる部屋に移る。知人と屋上へ行き景色を眺める。他方は山、もう片方は高層ビル群。山ではジャガーが出たとか、池にはワニが住んでるとか聞いた。たしかシャワーを浴びてご飯食べて明日の予定を打ち合わせて知人のお部屋で就寝。

 

 記憶が正しければ早起き。電車に乗ってムンバイ南部へ。ムンバイ大学のまた別の知人とともにリキシャーに乗って駅へ。部屋に泊めてくれた知人は講義のため大学で留守番。リキシャーの中から大学の様子を動画に撮っていると大学の門番の人に動画を消せと言われる。削除して復元した。よく分からないまま切符を買ってもらい電車に乗り込む。フリーライダー多そうなセキュリティ。採算取れるのだろうか。いわゆるインドって感じの電車。何がって電車の扉が決して閉まらないところ。怖かったので動画はない。線路にはプラスチックのごみがたくさん落ちてた。同行者は私の様子を楽しそうに眺めていた。

 終点で降りて別の知人とも合流。挨拶を簡単に済ませタクシーに乗る。ムンバイの南部の街並みはレンガ造りでおそらく占領の名残であることが容易に想像できた。きれいな街並みではあった。ムンバイの博物館に行く。庭に大きな仏像の頭が横向きに飾られていた。後頭部はなく、頭の空洞には別の仏像が寝そべっていた。博物館内、大量の石像。熱心に解説してくれる知人。一生懸命聞くも聞いた端から忘却していく私。馴染みのない固有名に弱い。石像以外にも壺や昔の生活の様子やはく製や絵画などが展示されてた。"Make your own Prayer Flag" が驚くべき価格だったので作った。インクを塗ったハンコを布に押す×5しかしてないが。

 昼下がりになったのでお昼ご飯。カレーとナンとご飯食べた。あとパッフェ。「このソース甘いから」と言われて食べたカレーに緑唐辛子が入っていて悶絶した。自分の辛さ耐性の限界を確認した。これをそのまま食べる人が世の中にはいるらしい。その人が感じる辛さと私が感じる辛さは同じではないのだろう。お会計を払わせてしまい再びタクシー(リキシャー?)に乗ってインド門(Gateway of India)へ。ボディチェックをして中へ。写真撮って終了!デリーの門よりも少し小さい印象を受けた。インド門の近くにはテロの攻撃を受けたホテルが建っていた。私は外国人だったからかは知らないが鞄の中はきちんと調べていた。

 その後はTIFR(インドの基礎科学研究所)へ。そこにいる知人に会う。物理の研究について知人同士がお話を始めたので私は蚊帳の外。日本からのお土産を渡してTIFRを後にし、海岸に向かった。おそらく日本でいう鴨川等間隔。上から見るとビル群の光によってネックレスが見えるらしい。もちろんインドなのでところせましと人が海に向かって座っている。カップルや誕生日を祝ってもらう人々を見た。そこで時間をつぶし移動して、約3年ぶりに再会した知人と夕食を食べる。プレートの上に数種類のナンとカレーや付け合わせが乗せられている。お代わりは自由だった。何かをしゃべった。私はたくさん話すことが苦手である。帰りに口直しだと言われて野外で売られていたスパイスを塗った葉っぱを食べた。私が食べたインド料理の中で上位に入る程度に好きかもしれない。私が口いっぱいになってほおばっている様子を見て知人たちは笑っていた。

 3年ぶりの再会を果たした知人はバイクで、残った私たちは電車で帰るためそこで別れた。駅へ向かう道中で地下鉄の建設現場を見た。来た道を引き返し知人の部屋まで帰った。

 

 何時に起きたのかさえ覚えてない。大学の中にある知るカフェへ、部屋に泊めさせていただいている知人とまず行った。ムンバイ滞在中彼には無茶苦茶お世話になった。洗濯できる場所を手配してくれたり私の洗濯物を取りに行ってくれたり、インド対応のコンセントを貸してくれたりこの日色々な場所に案内してくれたり。服屋さんとアイスクリーム屋さん、お土産屋さん、インドのスーパー、露店のココナッツに連れて行ってくれた。知るカフェには海外インターンであろう英語で一生懸命英会話している日本人学生がいた。その後ショッピングに出掛けた。服屋さんの服はカウンターの後ろにあり、店員さんに言わないと服をきちんと見ることができない。アイスクリームは味がいろいろあって美味しかったけど私たち以外誰も客がいなかった。スーパーは生活に必要なものがだいたい売ってる。入るためには鞄の口をプラスチックを使って開けられないようにする。服とかカーテンも売ってた。スーパーの服はとても安いので三枚買った。牛乳はパックではなくプラスチックの袋に入れられていた。会計を済ませて店を出るためには持っている商品に金額を支払ったことを示すためにレシートを見せる。レシートにはスタンプが押される。スーパーを運営するためには人間の手が大量に使われている。

 その後リキシャーに乗ってホテルに帰り、翌日電車に乗るチケットを知人に取っていただき寝た。翌日からはプネーに向かう。

 

 Ⅲ.プネーに関して

 

 早起きして荷物をつめこみ朝食を食べて駅に行こうとするもリキシャーがつかまらずかなりぎりぎりな時間帯になる。駅までも雨がよく降っており道も大変混雑しており、駅に着いたら電車到着の2分前。やべぇ!!と思いずぶ濡れになりながら駅の階段をスーツケース持って駆け上がり、無い頭を必死に使ってプラットフォームを探り当て、やってきた電車をよく確認しないまま飛び乗った。女性専用車両だった。なんなら電車も間違えてた。私が乗る予定の電車が15分ほど遅れていることを後になって知った。さらに扉がないのでその車両から別の車両に移ることはできなかった。ひとまず英語がしゃべれる乗客の女性に乗る予定の電車と目的地を伝えてそのことを知った。その女性に言われた通りにとりあえずその車両に乗ることになった。タコ殴りにもならず身ぐるみをはがされることもなかった。普通に心配されていたと思う。「ここで降りてその次の電車に乗ってね」と言われるがままに電車を待つと私が乗るはずだった電車がやってきた。無事プネーに到着。知人に迎えに来てもらう。

 知人の大学へ向かい、知人の恋人を紹介される。「彼の部屋に泊まってまらうことになるけどいい?または大学の中にゲストルームもあるけど。」私はお金が一番かからない方法を選択した。恋人の部屋にて仮眠をとるように勧められる。夕方にお祭りに行くらしい。別に大したあれじゃないだろうと思っていたが早起きしたり実際電車間違えたりでちょっと疲れていたので素直に寝る。

 薄暗くなったころにバスに知人、知人の恋人、知人の友人たち、私で乗る。このときも乗客はさして多くなく、油断していた。「携帯や財布などの貴重品は服の下に持っておいたほうがいい」という忠告も「そんな大げさな笑」ぐらいに思っていた。バスを降りそこから祭りの会場と思われる場所に向かう。途中で売店のトウモロコシを食べたり頭に鉢巻を巻かされたり写真を撮ったりなどした。祭りの会場はすさまじかった。私がよく見る満員電車を思わせるぐらい人であふれていた。しかも彼らは踊る。よく踊っていた。町の通りワンブロックごとに大音量のスピーカーとインドの神様が乗った車がゆっくりと走っている。車の周りを取り囲みインド人は踊っていた。かかっているのはインドの伝統音楽らしさのようなものはあまり感じない、ただのEDMのようだった。もはやクラブ。道路のあちらこちらがアルコール抜きのクラブ。私は想像と大きくかけ離れた祭りと踊る知人の様子を呆然と眺めていた。知人ら、ちょっと踊ったらすぐに別の車のところに行きまた踊るを繰り返していてわけが分からなかった。私ははぐれないようにと知人の恋人に手を引かれ心ここにあらずといった様子で歩いていた。気が付くと屋台に行き、ハンバーガーらしきものをいただき、再び手を繋いで人込みをかきわけて帰路についた。世界最後の日って案外こんなものなんだろうなと思った。

 

 残りは前後関係に全く自信がないので思い出せる範囲でいくつかのことを列挙する(これを書いている現在は既に旅行から2カ月経とうとしている)。

 

 プネーの博物館に行った。博物館と他にもどこかに行った気がしなくもない…多分本屋さんとか食べ物屋さん。博物館は私、知人、知人の恋人の3人で行ったが常にいちゃいちゃしていたことをよく覚えている程度に博物館のことはあまり覚えていない…

 

 知人の講義などの関係で一人で一度大学内をぶらいついた。事前にもらった地図を頼りに数学学部(?)までまっすぐむかう。建物の近くには黒板があったがなぜかチョークはなかった。なんか講義が始まるっぽかったのでとりあえず一番後ろの席に座っていた。やってきた教授(?)に開口一番「お前は誰だ」と聞かれる。ここの生徒じゃないこと、聴講してもいいのかよく分かってないことを伝えると何やら早口でまくしたてられたが訛りが強くて全然分からない、私の英語力が低いのも一因だろうが。とりあえず「Visitorだ。」と答えておいた。講義は全然面白くなかった。命題も定義も、もちろん証明もなくお遊びみたいな式変形だけやって終わった。講義が終わったあと、親切な学生に単位の心配をされた。もちろん丁重に断った(つもり)。このあと線形代数のテストだよと教えられ正直参加したかったが戻る時間が近かったためこれも丁重に断った(つもり)。今回のインドの講義は黒板に書いてあることは容易に分かったが何を言っているのかはほとんど聞き取れなかった。

 

 知人の恋人のいる建物、つまり私が泊まった建物には卓球場とバトミントンのコートがあったのでそれで知人の恋人と遊んだ。彼はラケットの持ち方やスイングの腕の使い方などを教えてくれた。バトミントンコートには途中猫がコートに寝転がるなどした。

 

 ドミノピザ食べた。ピザ屋さんの周りで道端で丸まって寝ようとしている犬をたくさん見た。

 

 歌を歌った。(多分)日本語の曲をと言われたので3月9日を。

 

 出発前夜にインドでお祝いの時に食べるらしい甘い何かを食べた。料理名をちゃんと覚えていないのは申し訳ないと思っている。

 

 いくらかの時間を近くにある図書室で過ごした。延々と誰にも邪魔されずWi-Fiがある環境でリーマン面とお話してた。もはや目的もないのに大学にただでいる人になっていた。

 

 といった感じで過ごし、早朝にプネーを出発してムンバイの空港に向かった。ムンバイまでの電車は何も問題なかった。言われた通りの駅で降り、リキシャーをつかまえて空港に向かう。意外と乗せてくれなくて若干不審に思っていた。雨の中なんとか乗せてくれるおじさんが見つかり乗り込む。そのリキシャーにはメーターがなかったが(メーターがあったほうが清算の交渉をしなくて済むので楽)、あまりにも乗せてくれる人が見つからず雨もひどかったので仕方なく乗り込む。「長旅になるぞ」と言われ、実際2時間近く知らないおじさんと無言でいた。最寄り駅から空港までまさかそんなにかかると思わなかった。「domesticか?」と聞かれたので「internaionalだ」と口を酸っぱくして答えた。到着したのは国内線だった。国内線であることが分かったのは空港の建物に入った時、運転手のおじさんには既にお金を渡していた、おそらくちょっと高めの額を。ふざけるんじゃねぇ。怒り狂いながら空港内のリキシャーに乗り海外線に向かう。そこのおじさんはメーターに書いてある額よりも高い額をふっかけてゆずらなかった。なんだその機械は、お飾りか?でかい声だしたら払ってくれると思うんじゃねぇ(払った)。リキシャーはとても嫌いな交通手段になった。空港に着いて早めに出国手続きを済ませ、ハンバーガーを買い、付いてきたポテトのソースの辛さに驚きながら空港で時間をつぶす。途中どこかのトイレで折り畳み傘を忘れた。これ以上何事もなくだらだらするつもりだったが、いざ飛行機に乗る段になって私のスーツケースが飛行機に乗らないことを知る。携帯のモバイルバッテリーはスーツケースに入れてたらだめです。大変なことになります。搭乗口の私はなぜ冷静だった。だってこんなことよくあることだろうし空港の人も対応にはなれてるはずなので言われたとおりのことをすればいいだろうと思っていた。実際に乗り込んでからはちゃめちゃ気分が悪くなった。自分の一部がどんどん遠ざかっていく感覚。返ってこなくても取り返す手段はどこにもない。空港のおばさんの言葉を信じるしかあるまい。鬱。

 

 帰国して三日後くらいに関空からメールが届きそれから数日後にスーツケースは着払いで返ってきた。