進歩的な人間による述懐

  まあ聞き給え。私は人間がどのように生きていくのが望ましいのかこれまで考えてきた。え、人間の定義は何かって?いい質問だね。まあとにかく私はよりよく生きていたいからね。きちんと考えるわけよ。哲学書だって一っ生懸命読んだよ。古今東西食わず嫌いなんかせずに読んできた。文学も読んだ。もちろん参考になる、人生の警句とでも呼ぶべきものがたくさんあった。昔の偉人は偉人であるがゆえに私に読まれたということだ。
 私が今、やろうとしていることは、啓蒙することだ。啓蒙って何か知ってる?まあ、要するに、私がこれまで考えてきたことを伝えることで、君がよりよくなるようにすることを私が望んでいるってこと、かな。そんなに長くないから、まあまあ。誰だって自分の人生を意義深いものにしたいでしょう?とても簡単だ。人々はよく
「生きていく意味が分からない」
 とか
「どう生きるべきか分からない」
 と言う。でもとても単純な、誰もが納得できるある事実を認めてしまえばそんなことは解決する。前置きが長すぎたかしら。でも別に五分もしゃべったわけじゃないからちょっと大目に見てほしい。冗長でさしておもしろくないゲーニンなんかじゃなくて、今、まさにしているのは生き方の、人生の話だから。もうすぐこの短編集の一番短い短編と同じだけの文字数を使い切っちゃう?だから、せかさないでおくれよ。逃げないから、さ。
 本題に入ろう。ある事実を認めれば諸々の説明がうまくいくってところまで話したのかな。まずその事実が何なのか、から述べないといけない。えっと、あまり笑わずに聞いておくれ、私は真面目に言っているから。それはね……(一息吸う)私たちは幸せになりたがっているってことと、私たちは誰かの役に立ちたいってことだ。ゆっくりと、この二つからどんなことが導けるかみてみよう。
 まず、私たちは幸せになりたい。だから、自分が幸せになれるように行動しなければならない。ある人にとっては美味しいショートケーキを食べることかもしれないし、別の人にとっては隣のやつにテストの点数で勝つことかもしれない、ダイエットに成功することかも。人によって楽しいと感じることは違うから、何が幸せかなんていろいろあって当然だ。
 でもね、よく考えてみると、いや、考えるまでもなく、誰にとっても幸せなことって、あるだろう。例えば、お金をたくさん稼ぐとか、地球規模の大問題を解決するとか、幸福な家庭を持って子供をたくさん授かるとか、自分がしたいように生きていくとか、ね。まさに幸福を目指そうと思えば君はきっとうかうかしてられなくなるのではなかろうか。やるべきことも学ぶべきこともたくさんあるはずだ。むずむずする気持ちはよく分かるけど、もう少し、言いたいことがあるから聞いてほしい。まだ、もう一つの事実に関して述べていない。
 ひとまず、私たちは人の役に立ちたいという「事実」を、少しだけ吟味してみようか。ほんとにそうなのかな。疑うことは哲学の基本だからね。つまり、これを事実としてしまったけど、もう少し根本的な原理の上にこの事実はあるように感じないか?なんだと思う?それは、私たちは一人で生きていけないってことだよ。当たり前かな。だから、ちょっとくさい言い方になっちゃうけど、やっぱり私たちはお互いに助け合わなくちゃいけないし、助け合うと双方が幸せになる。ここに幸せが現れる。それに、助けてもらってばかりだと、なんだか申し訳ない気持ちにならない?それはまさに、君は人の役に立ちたいっていう気持ちの表れだよ!つまり、
「誰もが人の役に立ちたい!」
 と思っているわけだね。ちょっと先走って非自明な事実を述べてしまったけど、なんてことはない。
 それでね、少し考えてみたいのは、この二つがうまく両立するかどうかということだ。実はこのままだとうまくいかなくてね……。どこがまずいかというと、自分がやりたいことが、どうやら人助けにあまりならない場合だ。そういう時はね、君のほんとうにやりたいことはそんなことではないと、考えるべきだね。
「こんなことをやって一体何の役に立つのか、何の意味があるのだろうか。」
 なんて考えることは間違いなく、君のやりたいことでもなければおそらく役に立つことでもないだろう。そんなものはとっととやめてしまって、急いで、自分がしたいことをよく考えるべきだと思う。
 なんだい、
「自分がほんとうにしたいことが分からない」
 って?何をそんなつまらないことで悩むのよ。さっき言ったでしょう、まず、誰にとっても幸せであるような幸せを達成する。自分のしたいことはゆっくり探せばいい。自分のしたいことが見つからなくたって、幸せな人は、たくさんいる。そういう素晴らしい人たちをまず目指せばいい。しっかり勉強して、それに見合った働きを社会の中でしっかり果たして、その報酬としてお金を手に入れる。それだけなんともまあ幸せなことだろうか!そう思うだろう!

 

 

 こうやって話を続けている間にもその人の肉体は少しずつ消失していた。長ったらしい前口上を話し終えたあたりから爪がひとりでに剥がれ、細かい粒に幾度も分裂して見えなくなった。その人は少し顔をしかめたが、それでもまるで使命を果たそうとするかのように口をせわしなく動かし続けた。私は言葉を捉えることをやめて(実際とても退屈していた)、身体に起こっている変化を仔細に観察し続けた。爪の次は手、服の袖、靴、足が泡立ち、分裂し、糸がほつれるように、霞になりながら消えていった。その人の顔は困惑で満ちていたが、それでも、まるですべてを語れば失われた部分を取り戻せるかのようにしゃべり続けた。
「神の存在だって?いると考えたほうが幸せならいると思えばいいのさ!私はいなくてもそんなに困らないけどね、でも今は信じ……」

 唇がしか残っていないのにどうして声が聞こえるのだろうと、さっきまでその人が座っていた椅子の上で小刻みに震えながら軽くなっていくそれを、私は不思議に思いながら、頬杖をついて眺めていた。そして信じるか信じないのかを言い終えることなくさっきまで座っていた人はいなくなった。私はあくびをし、飲みかけの紅茶をもはや誰も座っていない椅子に丁寧に、花に水をやるようにひっくりかえし、中指を一度立てて。

 

 その場を後にした。